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すべては業者の判断でコトが運ばれる

すべては業者の判断でコトが運ばれ、常に「業者が上」だった。つまり「貸す側」が一方的に強かったわけだ。力関係は「貸す側の強み、借りる側の弱み」という構図だ。しかし、一端融資を受けた直後からその関係は180度逆転する。すなわち、以降「アナタの事情や都合でコトが進む」ことになる。モノにはすべて「所有権」というものがある。平たくいえば、自分の手元にあるものを自由に扱うことができる権利で、その行使に第三者が介入することはできない。ここでいうモノには「お金」も含まれる。そして、返済を要求する権利のある貸金を一般に「債権」というが、これを金銭貸借の関係で捉えると「お金を貸すということは、所有権を手渡して債権を得る行為」と置き換えることができる。そして、債権を行使するとその要求に従う義務が生じてき、これが「債務」といわれるものだ。

日本の生計費が他の主要国に比べてかなり高い

九二年は九〇年のOECDの推計結果をもとに、経済企画庁が延長推計したもの)は、一ドル=一三二円であったのに対して、実際の円・ドルレートは1ドル=一六九円であった。日米間の内外価格差は購買力平価を円・ドルレートで割ったものであるから、一・三七倍になる。すなわち、日本の生計費は米国の一・三七倍であったということである。他方、九二年の購買力平価は二〇二円であるのに対して、円・ドルレートはて一七円であったから、内外価格差は一・五九倍になった。このように八六年に比べて九二年の内外価格差が拡大したのは、?購買力平価が低下したので内外価格差を縮める要因になったが、?実際の円・ドルレートが?の要因を相殺して余りあるほど大きく円高・ドル安に変化したためである。同じようにドイツ、フランス、イギリスとの内外価格差をみると、それぞれ、九二年で一・二一倍、一・二八倍、一・四八倍となっており、日本の生計費が他の主要国に比べてかなり高いことが分かる。

ドルが世界中に流通

ドルが世界中に流通し、その額も大きくなると、アメリカ政府がもっている金の量ではやがて交換できなくなる日がやってくるといわれるようになった。そこで1971年8月、アメリカのニクソン大統領は対策を講じ、「今後はドルと金の交換に応じない」と宣言したのである。このニクソン・ショックを機に、いつでも金と交換できるというメリットがなくなったわけだが、ドルは基軸通貨の地位を失わず、アメリカ経済を支えつづけた。それは、アメリカが名実ともに世界第1位の経済大国だったことや、ドルに代わる通貨が存在しなかったことが大きい。さらに、世界経済のシステムが、アメリカに都合よくできていたこともある。つまり、貿易や資本取引のさい、各国は支払いのためにドルをもっていなければならないので、ドルを買わざるを得なかった。それゆえ、各国のお金は自動的にアメリカに流れこむ仕組みになっており、そのシステムがアメリカの景気上昇をもたらしたのである。