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新式の婚礼を発案したのは新宿生活館の初代館長

新式の婚礼を発案したのは新宿生活館の初代館長塚本哲。会場には日の丸をかかげ、三三九度の盃の後、憲法第二四条を読み上げ、誓いの言葉を述べ、出席者一同の前で婚姻届に署名をする。宗教者も媒酌人もなし。二人は平服で式に臨み、新婦にはベールと髪飾りが無料で貸し出される。通常の婚礼費用が四万、五万だった時代に、五〇〇円以内でできる式として「生活館式」は話題を呼び、こちらも全国の自治体に波及した。だが、それ以上に大きなトピックは、冠婚葬祭互助会の発足であろう。互助会は一九四八(昭和二三)年、横須賀市の町内会が一ヵ月に二〇円ずつ出し合って万一に備えたのが発端という。入会して毎月一定額を積み立てれば、安い費用で葬式や結婚式が行える。戦時中の「隣組」を基盤としたささやかな事業。しかし、積み立て方式が人々の心をつかんだのか、互助会はあっというまに全国的なグループ組織に発展、一九五〇年代後半には直営の結婚式場を持つまでになったのだった。長寿閣(一九五七年、横須賀市冠婚葬祭互助会。のちに平安閣と改称)、高砂殿(一九五八年、愛知冠婚葬祭互助会)、平安閣(一九六一年、名古屋市冠婚葬祭互助会)。おおお、そこなら知ってる知ってる、の式場が目白押しである。また、互助会の発足に先立つ一九四七(昭和二二)年には、東京の明治神宮に隣接して明治記念館が建設され、これが総合結婚式場の嗜矢となった。自治体式の人前結婚式と、互助会や専門式場が提供する神前結婚式の戦いがどちらの勝利に終わったのかは、すでにみなさまご存知の通りである。しかし、その話は後回しにして、先にこの時代の冠婚葬祭マニュアルを見ておこう。

弔問でのお悔やみはなんと言う?

訃報を聞いて駆けつけてきたものの、悲しみに暮れる遺族を前に、なんと言葉をかけていいかわからない……という経験はだれにでもある。月並みな「ご愁傷さま」では、軽すぎる気がするし、まさに慰めの言葉もない状態。相手も悲しんでばかりいるわけにもいかず、親族の並ぶ席はどうするとか焼香の順はどうするといった、通夜や葬儀・告別式の段取りの事務的な進行に気をつかわされ、疲労もピークになっている。こんなときは、黙って目であいさつするだけでも十分である。「急なことでびっくりしました」とか、「残念です」「お力落としのないように」など簡単なあいさつで、相手から話しかけてこないかぎり黙っていてかまわない。また逆に相手が悲しみを分かち合う相手を求めてあれこれ話しかけてくれば、口は挟まず黙って聞いてあげればいい。急な事故死のような場合、いくら状況を知りたいからといって、などをあれこれ尋ねるのは、相手の傷を広げるようなものだから、亡くなった事情を聞くのは絶対に避ける。

座り方の基本

座り方の基本は、お尻(尾骨)を奥につけ、背をまっすぐに背もたれに沿わせること。ひざは揃えて下ろし、左右のつま先は正面に。横から見たときに、お尻とひざのところがそれぞれ90度になっているのが美しい形。さらにひざ下を少し前に出し、どちらかの脚を引くと立体感が出て優雅な印象になる。これができれば、座って待つ姿だけで、「できる女性」の第一印象を与えられる。椅子の背もたれの奥の角まで深く腰かける基本は女性と同じ。ひざ裏を座面の前端に合わせ、ひざは肩幅まで開く。このときつま先は開かず、正面を向けておくこと。両手は軽く握って机の上か、机がなければ軽く握って両ももの上におく。ゆったりとした座り方は堂々と見え、あなたの仕事にも信頼感が生まれるはず。